ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

あいうえおエッセイ 「こ」―困った人

 毎回あいうえおエッセイを書くたびに、どの題材にしようかと考えたりネットで調べたりするわけだが、今回の「こ」についてはピタッとはまる題材がなく「困って」しまった。なのでどうせならと「困った」を題材にしたいと思う。

 困ったというと生活している限り困ったことだらけであって、人に関しても周りを見渡せば困った人だらけの世の中だ。隣に住んでいる住人が困った人でトラブルが絶えないとか、職場に困った人がいてストレスが溜まるとか、家族に困った者がいるなど、困った人というのはまさに隣り合わせで存在しているわけである。

 僕は18年間販売という職種に属していたが、毎日毎日困ったことだらけだった。

まずもって同じ売り場にもう困った人がいるということだ。勿論これについては毎回そうではなくて困った人が一切いない売り場があったのも事実だ。でも、売り場がよくても上司であったり、とりわけ一番困るのがお客さんである。

「お客様は神様」というのはお客さんが物を買ってくれる以上、それは事実であることは間違いない。ただ、それを逆手にとってお客さんだから何をしてもいいと勘違いしている方もいらっしゃる。

 僕は18年間、百貨店のテナントとして入っていたので、そこでは百貨店のクオリティの接客が求められた。いわゆる「上質」な接客である。ところが申し訳ないがやってくるお客さんは上質な方ばかりではない。中には非常に困った方というのもたくさんいるものだ。そんなお客さんでもやはりそこは「お客様は神様」なので、誠心誠意対応しようという心持ちでいるのが本物のプロであるのは間違いないと思う。でも実際はとっとと解決して関わりたくないというのが本音であって、そんな困ったお客さんに対しても神様と思える「聖人」のような心を持った販売員はほとんどいないと思ったほうがいい。なぜなら販売員は「サラリーマン」だからだ。

 これが例えば、個人事業主となると困ったお客さんであれ、感謝の度合いというのは変わってくるのかもしれない。何故なら生活にそのまま直結してしまうからだ。ところがサラリーマンであればお客さんに対しての対応が余程酷く、クビにならない限りは毎月決まった日にお給料が振り込まれるようになっている。そんな守られた生活が背景にある人間が困ったお客さんに対して「神様」などと思うはずがないのだ。

 困ったお客さんではなく本当にいいお客さんという方もたくさんいらっしゃる。いいお客さんというのはお金をたくさん落としてくれるお客さんではなく、人として魅力のあるお客さんだ。こういったお客さんに対しては得てして販売員のサービスも良かったりするものだ。なので「この店はサービスが悪い」などと店頭で叫ぶお客さんもいたりするが、それはアナタの態度が悪いと思っておいて間違いない。販売員も人間なので、態度の悪い人にサービスをしたいと思うことはないのだ。なのでお客さんもいいサービスをしてほしいと思うなら、お客さん自身もいいお客さんである必要がある。是非とも買い物される全ての人がそういった心持ちでいてほしいものだ。

 ところで話は変わるが、困った人というと実は自分自身だったりする。隣に困った人がいるということは自分自身が困った人であることなんて十分考えられる話だ。そして、

「私の周りは困った人ばっかりやぁ」と嘆く人に限って、その人が困った人である可能性は高いと考えられる。ということは僕自身が困った人ということになるわけだ。

 何とも「困った」話だ。