ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

女子プロレスラー木村花選手逝去について<後編>

 後編はSNSを中心に綴っていこうと思う。

引き続き、今の段階で知っている情報と僕の推測で著述するので誤りがあればご容赦いただきたい。

 今回の木村選手の死去についてはテラスハウスに出演した際のSNSでのバッシングが原因とされている。中でも自分のプロレスのコスチュームを誤って洗濯された上、縮んだことに激怒したことがバッシングの引き金になったとされているようだ。

 SNSでの誹謗中傷というと、お隣韓国ではアイドルや俳優などがそのことで深く傷ついて自殺したというケースが多く、その報道がなされる度に、何故そんなにSNS上でのことを気にするのだろうかと首をかしげたものだった。でも当の本人はコメントの一つ一つがナイフとなって心に突き刺さっていったんだろう。

 さて、ここで人のものの見方、受けとめ方についてみていこうとおもう。

 実は僕はキャリアカウンセラーという資格の保有者で、養成講座を受講した際にこのことを教わった。

 例えば「空港」というとどのようなことを思い浮かべ、どのような気持ちになるかを考えたとき、

「旅行に行くようで、ワクワクした気持ちになる」という人や、

「離島にある実家を思い出して懐かしい感じがする」という人もいる。

その反面、

「空港というと辛いことしか浮かばない。ハネムーンで離婚することになったから」

などと言う人もいるわけで、つまり「空港」というひとつの実体や事実に対して人によって見方が全然違うわけだ。

 これと同じように、人に何かを言われた、書かれた、態度を取られたなども人によって解釈はまるで違ってくる。SNSで「アホ」「ボケ」「死ね」などと書かれても、

「それは面と向かって言われたわけではない。SNSなんて空想の世界なので全然気にならない」

と平然としている人もいれば、逆に大きく心を痛めてしまう人もいる。また、これらのことを言われて平気と言っている人でも例えば「臭い」というワードが出てきた途端に全ての思考が停止してしまうほどのショックを受けるなんてこともある。そんな人に深く話を聞くと「実は小学生のときに・・」などと「臭い」で傷ついたことに関連する自己概念が姿を現すわけだ。

 だから人のよって受け止め具合は様々で、心の傷の深さは違ってくるわけである。

 今回、木村選手に浴びせられた誹謗中傷については目を覆いたくなる内容のものばかりで、これに対して彼女はまともに受け止めてしまったと考えられる。かなり真面目な性格で、努力家だったというところからも、やはりそういった自分が出演していることに対しては敏感に反応していたんだろう。そして送られてくるこういった内容を毎日見ていると脳も自然とそういったものだと認識するようになってくる。

「死ね、気持ち悪い、消えろ、今までずっと私が1番私に思っていました」

「顔も中身もブスでごめんね。消えれるものなら早く消えたい」など彼女自身が投稿しているが、今までずっと思っていたというのはいつからそのように思っていたのかが気になるところだ。実は結構昔からそのように思っていた節があって、元々自尊心が下がっている段階で追い打ちをかけるように誹謗中傷を浴びた可能性はある。「やっぱりそうよね。自分ってそんな人間よね」と変な納得をしてしまったのかもしれない。それがついに最悪の結末となってしまった。

 ところで、このテラスハウスという番組については一度も見たことがなく、ネット等の情報だけになってしまうのだが、一応基本的な台本は存在していたようである。ただ、どこまで仕上がった台本なのかはわからない。番組側は木村選手に一体何を求めていたんだろうか。また前編でも綴ったが、所属団体「スターダム」はこの番組に木村選手が出てどうあってほしかったのか。このあたりが全然わからない。そしてスターダムも彼女が出演する目的がスターダムの宣伝というのであればきちんとした台本を用意する要請はしなくてはいけなかったはずだ。

 番組中、木村選手はひとりのバスケットボール選手にアタックしたものの叶わぬ恋となったようで、このバスケ選手は誰とも恋愛しないまま卒業したとのことだ。例えば、スターダムにお客さんを呼ぼうとするなら、このバスケ選手が卒業したあとに木村選手のライバルとされる女子レスラーと恋仲になるという「ギミック(しかけ)」が作られていたのなら面白かったかもしれない。そうすればテラスハウスのファンも会場に足を運ぶことだっただろう。

バスケ選手が振った女(木村選手)vsバスケ選手と恋仲になった女(ライバルレスラー)―

そういったきちんとしたギミックがある上で、しっかりと台本があり、木村選手の番組内での役割をきっちり伝えていたとしたならば、誹謗中傷に対する彼女の見方も変わっていたのかもしれない。そう思うと非常に残念だ。

 もう木村選手は亡くなってしまって本人の口からは何も聞くことが出来ない。真相は闇のままだが、彼女が浮かばれるためにもSNSでの規制というのは必要になってくる。そんな中、コロナ対策で後手後手で批判を受けた政府がこの問題に言及してきた。これについては非常に素晴らしいことで是非とも匿名で誹謗中傷する輩を取り締まる法を作ってほしいものだ。

 また、女子プロレス界についてもこれを機にSNSに対する啓発であったり、メンタルチェックを行う必要はあると思う。そして団体としてのあり方、選手の扱い方についてはしっかり考えていかなくてはいけない。

 そして何よりも命の教育の大切さだ。毎日毎日誹謗中傷ではなく、

「あなたはすごい人、あなたならできる」と褒められる投稿であったならセルフイメージは180度変わっていたはずである。子供も大人も命の大切さや、人を褒めることの素晴らしさを僕も含めて学んでいく必要があると思う。

 

 最後にー

木村花選手、「産んでくれてありがとう」いう遺書が見つかったそうです。

本当はどうしても生きたかった。生きて生きて、でもそれがもうできない。

そんな無念さが垣間見れる一文だと思います。

ご冥福をお祈りいたします。