ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

あいうえおエッセイ 「す」―スイミング

 小学1年生から4年生までスイミングスクールに通っていた。今でもこれは本当によかったと思っている。おかげで運動神経がイマイチな自分も人並みに泳ぐことができた。なので学校の水泳の授業はそこそこ自信を持って臨めたのである。もし、スクールに通っていなかったら身体はプールに浸かっても顔は水面に入っていないにちがいない。プールに入ったまま全く動かずにいて「お前は風呂に浸かりに来たんか」とツッコミが入っても仕方ない状況になっていただろう。

 ところで、水泳の授業というのはもう全くカナヅチな子というのもいて、これは見ていて面白くもあり可愛そうでもあった。水泳というのは運動神経云々の前にまず、水に対しての恐怖心を取り除く必要がある。これを克服しない限りはいくら運動神経が良くてもまともに泳ぐことはできない。水が怖い子というのはどうしても顔を上げたがるので、そうすると身体が沈んでしまって、なかなか前に進むことができないわけだ。僕はそんな溺れているのか犬かきなのかという気の毒な子を何人もみてきた。

 水泳というと、今でこそテレビで世界選手権が放送されてて脚光を浴びているが、僕が小学生の頃は今ほど注目はされていなかった。

 そんな中、一時水泳ブームとなったことがあって、それは何といってもソウル五輪鈴木大地選手の金メダルである。残り数メートルで逆転して金メダルを獲ったことも素晴らしかったが、子供だった僕たちを惹きつけたのは「バサロ」と呼ばれる潜水泳法だ。

 今でこそこのバサロは規定で15メートルまでと決まっているが、ソウルのときは決まっていなかった。だからどこまで潜水したままいけるのかというのが注目のひとつだったわけだ。

 あの金メダルを獲った100メートル背泳ぎ決勝をテレビで観ていたが「浮かんでこない」美しさ、格好良さというのに僕は完全に惹かれてしまった。洋上に豪華客船がある中、いつ浮き上がってくるかもわからない潜水艦を見ているようなドキドキ感があった。そして鈴木選手はなかなか浮き上がらない魅惑の潜水艦だったんである。

 このバサロブームがあった数年後、僕は久々にバサロという言葉を耳にすることになる。

「バサロ〜」と呼ばれて振り向いた長身の男子学生はバレーボール部のアタッカーで、なかなか強烈なアタックを打つ猛者だった。彼がバサロと呼ばれる理由が水泳の授業でわかった。プールへ飛び込んだ途端、両手両足をバタバタさせて一向に進まない「プロ」のカナヅチだったんである。それをからかってのバサロだったんだろう。彼は誰からもバサロと呼ばれていて本名がずっとわからなかった。鈴木君だった。なるほどなるほどバサロと呼ばれるわけだ。可愛そうな話だ。