あいうえおエッセイ 「う」―嘘つきの行方
「嘘つきは泥棒のはじまり」などと言われるが、こんなことを言い出したら子供以外のほとんどが泥棒になることくらい自明なことである。泥棒を捕まえる側のおまわりさんだって人生の中では散々嘘をついてきてるはずだ。
先日はスーパーの前で
「お父ちゃんの前で嘘つくんか?え?嘘つきなんかお前は」
などと子供を説教しているお父さんがいた。説教されたほうの子供はえんえんと泣いている。その光景を見て僕は「いやいやお父さん、お父さんなんてもう数え切れないくらいの嘘ついてきてるやんか。なんやったらこの子説教した数分後には何かしらの嘘をついてるかもしれんで」などと心の中で泣いている子供を応援した。
嘘をつくなという教育は必要だと思う。ただ、本当をいうと嘘の質を教えてあげるのが一番いい。ついていい嘘、ついてはいけない嘘。ただこれを教えるというのはめちゃめちゃ難しいもので、ある程度の人生経験が必要となってくる。口頭や教科書ではなかなか子供には教えづらいところだ。だから親は「嘘をつくな」の一点張りの教育しかできない。これはこれで仕方がないのかもしれないが他に何かいい教育方法があれば是非とも世に広めていただきたいものだ。
ところで僕も今44歳なんで嘘つきという点ではベテランの域に達しているが、「事前につくことが決定している嘘」をつくことが非常に苦手である。
僕が大学受験に失敗して浪人をしていた1994年。この年は競馬界ではナリタブライアンという強烈に強い馬がいて浪人の身であるにもあるにも関わらず仲間と馬券を買いに行こうという話になった。
当時は18歳だったので、20歳以上でないと馬券は買えないわけだから、JRAの係員にバレると厄介なことになる。係員が20歳以上かどうか判定するにあたり、生まれた干支を聞くという情報を得たので僕たちはもし聞かれたら2歳上の干支である「丑年」と答えようという話で一致した。
そして、いざ馬券を大阪は梅田にある場外馬券場に足を運び、馬券を購入した時だった。
「あの・・君たちいくつ?」
後ろから女性の係員が声をかけてきたのだ。
僕は焦った。本当に声をかけてきたのだ。一応あたりを見渡して最善の注意を払ってきたつもりだったが、逆にそれがいけなかったんだろう。怪しいやつに思えたに違いない。頭が真っ白になった僕は
「寅年です・・違うわ!丑年や・・・・」
目を細めた係員は観念しろよと諭すような低い声で
「ほんまは何年なんや?」
「竜です」
こうして僕のチョンボで裏の個室に連れて行かれ、住所やら名前やら書かされた。学校名も書く欄があったが、さすがに予備校名なんて書けない。フリーターと記入した。苦い思い出だ。
その後も何度か事前に予定された嘘をついたことがあったが、目が泳いで、喉がカラカラになってくるのが自分でもわかる。おそらく嘘をついているかどうかなんて分かる人にはすぐにわかってしまうんだろう。だからなるだけ事前に予定された嘘はつきたくないものだ。
世の中には人それぞれの嘘のつき方があると思う。嘘をつくのがとてもうまい人、キレイな嘘をつく人、平気でついてはいけない嘘をつく人など。でもやはり人を傷つける嘘だけはつきたくないものだ。相手を思いやれる嘘つきが本当は一番いいのだと思う。