ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

夏の甲子園中止について

 いつもはオナラでいうところの「すかしっ屁」みたいな気の抜けるような内容のことを書いている僕も、今回ばかりは真面目なことを書く。

 夏の甲子園中止―

 あまりの衝撃的なニュースに、大きく失望した方からやむを得ないと思う方まで様々な意見があって、どれが正解というのはない。

 ただ、僕の結論からいって夏の甲子園は無観客でいいので「開催すべき」だと思う。

 高校野球、とりわけ「甲子園」というのは春夏の一大イベントであって、全国の球児はここを目標にして毎日を過ごしている。高校からではなく、それこそ中学生からこの「甲子園に出る」というのを目標にしている球児も多い。毎日毎日血の滲むような努力をし、心が折れそうなときがあったとしても、「甲子園に出る」という一つの夢を掴むためにまさに「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」の精神で、自分の気持ちと向き合ってきたわけだ。

 8月の状況がどうなっているかはわからない。ただ、コロナが落ち着いてきている今、開催できないというのは結論が早いのではないだろうか。

 街頭インタビューを見ていると、他のインターハイが中止になっている以上、野球だけ特別扱いするのはおかしいという意見もあった。その気持はわかる。僕も中止された競技の関係者なら同じことを考えるかもしれない。

 ただ、脚光を浴びるスポーツ、浴びないスポーツというのは確実にあって、オリンピックをみても全てのスポーツがオリンピックの競技にあるわけではない。オリンピックに採用されている競技はやはり脚光を浴びている競技ばかりだ。スポンサーが付く、付かないというのも競技によって大きく違ったりする。

 では脚光を浴びていないスポーツを選択したことが悪いのか?というとそうではない。そのスポーツを選択したことで才能が開花した人も少なくはないだろう。でももうこれは仕方がないと思うしかないのだ。そんなの納得できないという人もいるだろう。でももう仕方ない。そのスポーツを選んで、毎日毎日球児と同じく目標を持って取り組んできた高校生も多いはずだ。とても気の毒だと思うが、仕方がないんである。

 高校野球は高校スポーツの中でも最上級の花形スポーツで、今までもたくさんの感動を与えてきた。子供から大人までが高校生から感動をもらい、夢をもらい、尊敬し、そして青春のあり方や人生の生き方、その他のことを学んできたわけである。彼らの一つ一つの全力プレーが、全ての年齢層の感性を動かしてきたわけである。

 高校野球だけが、甲子園だけが人生ではない、これからの人生のほうが長いんだから、これをバネにして頑張ってほしいというのが大人の意見だろう。正直こういうほかない。それはあながち間違っていないのは事実だ。でも今、これを納得できる球児はあまりいないことだろう。

 なんとか今の球児を日々の努力を披露させてあげれる場を作ってほしい。せめて地方大会だけは全ての都道府県で開催してほしいものだ。そして大きな移動を伴わないようにしたいのであれば、秋の大会のように関西なら関西、四国なら四国と地域ごとに戦って、上位2校だけが甲子園でプレーできるようにすればいいのではないだろうか。こうすれば移動するチームも少ないしリスクも軽減されるはずである。

できれば高野連にはもう一回考え直してほしいものだ。