ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

あいうえおエッセイ 「さ」―サンタクロース<前編>

 今回のテーマは「サンタクロース」。5月下旬だけど「サンタクロース」。「サ」といえばこれしか思い浮かばなかったんだから仕方がない。

 サンタクロースに関しては今まで衝撃的な事件が2つあって、ひとつは小学2年生のときにサンタクロースからプレゼントを「貰えなかった」こと。もうひとつは中学1年にしてようやくサンタクロースの正体がわかったことだ。

 僕は幼少の頃からクリスマスにはサンタクロースがプレゼントを配りに来てくれる環境に身を置いていたので、クリスマスは毎回楽しみだった。通っていた保育園にはサンタクロースがやってきたし、自宅にもクリスマスイブに2回サンタクロースが現れた(後々誰かはわかったけど・・)こうして僕はクリスマスには毎回サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるものと認識していったわけである。

 ところが、小学2年生のクリスマス。朝起きると枕元には「枕」しかなかったのだ。

前日、僕は欲しいプレゼントを画用紙に書いて玄関に貼り付けていた。確か色えんぴつを使って絵にまでして描いていたはずで、ただ、今になってしまえば欲しかったそれが何だったかは覚えていない。

「サンタクロースはきっと僕が描いたおもちゃを持ってきてくれるはずだ」そうしてワクワクしながら朝を向かえた結果がこれだったわけだ。それでも小学2年生だった僕はサンタクロースが来ないというのは信じられないもので、「きっと夜には来れなくなっただけだ」とクリスマス当日は一日中サンタクロースがやってくるのを待ちわびていた。しかしながら時間が経てど経てど玄関のチャイムが鳴ることはなかったのである。諦められない僕はもう一日待ってみようと翌日の朝に期待はしたが、結果は同じだった。

 26日朝も枕元には枕しかなかった僕に母親がかけた言葉は「勉強せえへんかったからちゃうか」だった。たしかに直前の2学期の成績は散々たるものだったが、それでも勉強ができないという理由でサンタクロースが来ないということがあるのだろうか。ショックで泣いたのかまでは覚えていない。ただ、これを機に「ちゃんと勉強して来年は絶対にプレゼントを貰おう」と誓ったのは覚えている。かくして、来年は絶対にプレゼントを貰うべく、その日から冬休みの宿題に取り組んだ。

 ところが、勉強するぞという意気込みはその日一日だけだったようで、翌日からはいつも通りのだらしない生活が始まったわけである。

「ゲイリーよ!立て!悲しみを怒りに変えて、立てよゲイリー!」

そういった母親の叫びは一日しか届かなかったのだ。

 ところで、こういった悔しさをバネに頑張るということが「一日限定」というあたりは残念ながら今も続いている。例えばゴルフだと、コースに出て酷いスコアだったらとても悔しい。「次はしっかり練習していいスコアで廻るぞ」と帰りの車では闘志を燃やすもののその日まで。翌日には練習場にいくのが面倒になっている。

 勉強もそうだ。高校3年に時、受験に失敗して全ての大学に落ちて涙まで流したにも関わらず、悔しさは一日で終わった。翌日からは机に座るだけで一日中ボーッとしてる。そんなことだから大学に入るのに2年も回り道をしてしまった。

 僕は今、40歳半ばで、悔しさを感じる機会が昔より減ってきている気がする。でもそれは行動する範囲が変わっていないだけで、今後いろんなことに挑戦すればするほどそういった機会は増えていくはずだ。ただそれを力に変えていくエネルギーは「一日限定」になる可能性はある。なので今年のクリスマスは

「悔しさをバネに頑張れる人間にしてほしい」

と画用紙に描いて玄関に貼り付けておこうかと思う。きっとサンタクロースが現れて、25日の朝から闘志剥き出しの「漢」になっているはずである。