ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

あいうえおエッセイ 「し」―しいたけ様

  物心がついたときにはすでにそれが大好きになっていたという食べ物が人によってあると思う。

 僕の場合はカレーライスとスナック菓子のカールうすあじで、この2つについては現在も揺るぎなく断トツに大好きである。

 その反対に、物心がついたときにはすでに大嫌いになっていたというのもあって、それは大横綱「しいたけ様」である。このしいたけ様については現在も揺るぎなく嫌いで、もう40年以上悪役の大王として君臨されている。

 このしいたけ様について調べてみると、大好きな人と大嫌いな人にぱっかり分かれるらしい。そして、一度嫌いになるとなかなか好転することはないようだ。なので、恋愛でいうところの「始めは嫌いだったけど段々良いところが見えてきて、交際に発展した」なんてことはしいたけ様に限ってはありえないわけである。そして僕もその例外を外れることなくしいたけ様の良いところが今の今もさっぱり見出だせないままだ。

「それは食べようとしていないから。食わず嫌いなのではないのか」このように言う方もいらっしゃるが、物心つく前に一度口にしていてそれが全く駄目だったんだろう。僕は全然記憶がないが、ある日親戚の家に行く際に、僕は何が食べれないかを母親に聞いたらしい。そのときの解答が「しいたけ様」だったようだ。なので、こんな物心つく前から嫌いというのは本能的に受付けなかったわけで、本能に貼り付けられた「しいたけは嫌い」という札は劣化していて黄ばむことなく今もキレイに貼り付けられたままである。

 ところで、僕も物心ついてから、しいたけ様に挑戦状を叩きつけたことがないわけではない。一度、嫌いを克服すべく決死の覚悟で挑んだことがあるのだ。確か生しいたけの煮物だったと思うが、結果は瞬殺のTKO負けで、その後は「口の植民地支配」ともいうような、まさに息を吸っても地獄、吐いても地獄の様相で、それを打ち消しかのごとく他のものを食べるもののしいたけ様は後から必ずやってくるわけだ。それからというもの、しいたけ様に挑戦する気持ちはなくなった。

 ところで、このしいたけ様、何故お弁当の中にあんな偉そうに君臨されているのかわからない。美しい焼鮭の向こうにいつもほくそ笑むように鎮座している。僕は18年間デパ地下で勤務していたが、閉店後になると売れ残ったお弁当を貰ったりしていてそれはそれは嬉しい話だった。ただ、家に帰って蓋を開けると、きっちりしいたけ様が「残念でした〜」という顔で主張してくるわけである。それも匂いまでなかなかの主張ぶりで、お弁当を食べる前にまずアクならぬ悪を取り除いていくところから始まる。しいたけ様をつまんでは細君に渡して、そこからようやく「本当のお弁当」を食べることになるのだ。しいたけ好きの方にはありがたい話なんだろうが、しいたけ嫌いには只々邪魔なだけである。

 この先、しいたけ様を好きになることはないだろうと思う。しいたけ好きになるなら、一年中しいたけしか食べれない病院に入院するか、催眠術でしいたけ好きにしてもらうしかない。ただ、催眠術でしいたけが食べれるようになる反面、副作用的要素で、今の自分ではない自分が顔を出すかもしれない。

 そうなったら多分今の自分とは真逆の「真面目な」僕になっていることだろう。なので、今後もしいたけ様とは距離をおこうと思う。