ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

仮病の招いた結末

 実のところ僕は肛門科に駆け込むまで、三度病院でお尻をさしだしている。

「なんや、散々肛門科に行く行かないの話をしておいて経験してるんやないか」と思われるかもしれないが、これは診察をして「結果的に」さし出さなくてはいけなくなったわけで、ハナからまじまじと見られる肛門科とは全く違う。

 一度目は小学6年生のとき、後の二回は大腸の内視鏡検査と手術だ。今回は小学6年生のときに話をしたい。

 その日は何故かしら学校を休みたくなって、母親に「お腹痛いし学校休みたい」と申し出た。本当は痛くはなかったし、完全なる仮病ではあったが、便秘気味だったのでちょっとお腹が重いなぁといった程度。体調が悪いフリをしながらテレビでも観てゆっくりしようという考えだ。あまりに平然としているのも嘘がバレてしまうので、顔を歪めながらお腹が痛いと言ったのが良くなかったんだろう。

「病院行こか」

と考えてもいない言葉を発せられて僕は慌てた。でも嫌とも言えない。仕方なく母親に連れられて病院へと向かった。

内科に通されてベットに横たわると先生がゆっくりとお腹を押さえてくる。「ここは痛いか?」と押さえる箇所ごとに聞いてくるのだ。どこを押さえても痛くなんてない。ただどこも痛くないというと嘘をついたのがバレてしまうと思ったので、左下を押さえられたときに「痛い」と言った。「ここやな、ここが痛いねんな」頷いた僕に先生は

「よっしゃ、浣腸やな」

これを聞いてうろたえないわけがない。嘘の行き先が浣腸になってしまったのだ。僕は看護婦さんに言われるがまま台の上に乗り、ズボンを下ろして浣腸された。大腸の中に入っていった薬が、仮病を使って休んだ僕をあざ笑うかのように凄い勢いで侵入していくのがわかる。屈辱以外の何でもない。浣腸された経験のある方はわかるかもしれないが、あの気持ち悪さというのはなんとも表現できないもんである。

「5分我慢してからトイレに行ってください。トイレから出たら流さないで呼んでくださいね」などと笑顔で言われて、その笑顔が余計に恥ずかしさを増長させた。

5分なんて全く我慢できない。3分経ったあたりで僕の体も心も何もかもがグニャグニャに脱力した感じだった。トイレから出ると、腸から出されたブツを看護婦さんが確認して

「うん、大丈夫ですね」と行って去っていった。全然大丈夫なんかじゃない。僕の心はズタズタだった。

結局、病院から家に変える途中でもまた薬が効いてきて這々の体で帰宅した。

これ以来一度も仮病という作戦は使っていない。

 

 

大日本プロレスも驚く大技

 前回の続き。2つ目は肛門科あるあるの話だ。

 肛門科を受診する方のほとんどは痔で悩まされた方々が多いが、中には到底考えられないようなことが起こったりするみたいだ。お尻を洗浄してくれる「ウォシュレット」。実はこれが原因で病院に駆け込む方もいるらしい。

「ウォシュレット」は実は「TOTO」の商標登録名で、各メーカーによって呼び名が違う。INAXは「シャワートイレ」東芝は「クリーンウォッシュ」パナソニックは「ビューティー・トワレ」。正式名称は「温水洗浄便座」でこの使いすぎで病院に駆け込んでしまうことがある。

肛門には周辺に皮膚常在菌があってウォシュレットを使いすぎるとこれが洗い流され、肌が荒れ、かぶれや湿疹を引き起こす。通常は10秒まででいいそうだが、これを何十分もお尻に当ててしまう人もいるそうで、ブヨンブヨンにただれた肛門で受診に来る人がいるようである。ウォシュレットは通常は肛門に直接当てるのはNGで、周辺を洗い流すことが目的とのこと。注意して使いたいものだ。

 ところで体の「出口」として存在する肛門であるが、時としてこれが「入口」となってしまったために病院に駆け込む人もいる。

 これはテレビで語っていたことだが、ある日、ホウキが刺さったまま病院に駆け込んだ方がいたらしい。病院まではパートナーの運転で来たそうだが、肛門に刺さったまま抜けなくなったとのことで、これは画鋲デスマッチや蛍光灯デスマッチなどハードコアプロレスを標榜する大日本プロレスですらお目にかかれない大技である。ただ、考えられるにホウキ以外でもこういったことは多々あったりするんだろう。肛門科に勤務する方々の裏話もたくさん聞いてみたいもんだ。

いずれにしても肛門は非常にデリケートな部分なので大切に扱う必要がある。くれぐれも「入口」として使わないように気をつけたほうがいいと思う。

 

 

口癖は災いとともに

 激痛に耐えきれず肛門科に向かった僕であったが、どこに病院があるかを調べているときに面白い話を2つ見つけたので紹介したい。

 1つ目は外国語だ。

「肛門」をイタリア語では「ano」というらしい。発音は「アノ」。これを知って僕はイタリアに行くのはやめたほうがいいなぁと思った。なぜなら口癖が「あの〜」だからだ。

 例えば、イタリアで道に迷ったとき、見知らぬイタリア人に

「すみません、あの〜(肛門)」

もうこれで相手は怒り出すか、走って逃げ出すことだろう。「あの〜」の一言でいつまでも迷いっぱなしになってしまう。

あるいはイタリアの結婚式、イタリアではなくとも日本で大勢のイタリア人を招いた結婚式を想像してほしい。

「それでは新婦の上司にあたります〇〇様より祝辞を頂戴いたします。〇〇様よろしくお願いいたします」

「ただいまご紹介に預かりました○○です。あの〜(肛門)・・・この度は・・」

この地点でイタリア人はざわつくことだろう。この後の渾身の挨拶の中でも頻繁に「あの〜」が入ってきたら気になりっぱなしだ。ドリフだったらちゃぶ台に志村の額があたっているに違いない。これからイタリアに行こうという方は注意が必要で、ちなみに「あの〜」はスペイン語も同じなので本場スペイン、もしくは南米に行かれる場合は注意が必要である。

 お次は中国語で、肛門のことを「gangmen」という。中国語を勉強された方はおわかりだと思うが中国語はピンインという発音表記法で勉強するのが一般的で、「gangmen」もそのまま読むと「顔面」になるが、実際に発音すると少し異なる。でもまあ顔面は顔面。

例えば、少し日本語をわかり始めた中国人が

「痛い、痛い・・・gangmen・・」

これで受け取る日本人の僕たちは顔面神経痛などを想像して、彼を神経内科耳鼻咽喉科に行くことをおすすめするだろう。でも実際彼が行かなくてはいけないのは肛門科なんである。

「肛門」以外でもこういった系のたくさんの言葉があるだろう。外国語圏に行く際は注意していきたいところだ。

もうひとつの話は次回にしようと思う。

これが最後のボラギノール

 もうかれこれ10年ほど痔に悩まされていて、切れ痔が原因による痒みには今も悩まされている。イボもたまにできることがあって切れ痔イボ痔の2冠を制していた期間も多い。

薬局に行ってボラギノールを買うたびに「今回で最後にしよう。これがなくなったらちゃんと病院に行こう」とは思うものの、いざ本当になくなると足先は病院ではなく薬局となってしまう。そしてボラギノールを買うたびに毎日塗付するということをせず幹部が酷くなったときにしか塗付しない。これでは治るものも治るわけがないのだ。

僕は昔からどうもアイテムを手に入れると安心してしまう気質で、昔は参考書を購入したら安心し、勉強した気分に浸っていた。こんな調子で勉強などできるわけがない。それが「よし、勉強しよう」と思うたびにそんな調子だったから参考書だけが無駄に多かった。それが今度はボラギノールに形を変えて今もしっかりと引き継がれているわけだ。

ある日ついに、たまに襲いかかってくるイボ痔について「イボ界のラスボス」とも称すべき大痔主が突如として現れた。その存在感は凄く、肛門内には収まることすらできない。それはまさに爆発した溶岩のようだった。イボ痔側としても「お前もうええかげんにせえよ」と思ったに違いない。その日は普通に出勤したけれど夕方頃どうにも座れなくなって、激痛に耐えきれず病院に向かった。

僕は普段自転車通勤していて、病院にいくにも自転車で向かったが、痛みでどうしても立ち漕ぎになる。ところが立ち漕ぎだとお尻に何か挟まっている感が常にあって気持ち悪い。「漏れる寸前」に似た感覚がずっとある感じだ。アスファルトの凹凸を通過するたびに痛みが走った。44歳のおっさんが坂道でもない平坦な道を痛みに耐えた形相で走っているというのは見る側からしても異質なものに感じたに違いない。そんな座ったり立ったりしながらようやく病院にたどり着いた。

肛門科入門

 頑張ってエッセイを書くと宣言しておきながら、いきなりこのタイトルで先行きが危ぶまれる。

 先日、ついに肛門科デビューを果たしてしまった。この決断に至るまでかなり長い時間がかかっていて、おそらく小学1年生だった人が中学3年生になるくらいかかっている。

 まずこの「肛門科」という全くオブラートに包み込まれていない響きがどうしても足にブレーキをかけさせてしまうのだ。もう「むき出し」である。これ以上でもこれ以下でもなく肛門は肛門なのであって、この限定的なところに引き目を感じるのだ。限定的というと耳鼻科も眼科も皮膚科も限定的じゃないかと思うかもしれないがそれは違う。

 例えばTSUTAYAで例えると、耳鼻科、眼科、皮膚科はいわゆるプロレスコーナー、F1コーナー、洋画コーナーといったような正統派の分類にあたると考えて、肛門科はというと「18禁」と書かれた暖簾を潜るようなものだ。「周りの視線」というものを光線のように浴びながら肛門科の暖簾を潜らなくてはいけない。

 そしてもうひとつ、肛門科への足を止めるものに「想像される診察風景」だろう。歯医者に行くのを嫌がる人はたくさんいて、あの「キーン」という機械音が痛みを想像させて嫌というパターンが多いと聞く。それと同じく、僕は肛門科と聞くと分娩室さながらの高台の上に乗って両足をひっかけてお医者さんに御開帳するというスタイルを考えてしまうのだ。そう考えると「痛み<羞恥心」という図式になってしまう。

 ともあれ、今回はそんな羞恥心をも凌ぐ激痛に襲われ、肛門科の暖簾を潜ってしまった。行ってしまうとあっさりしたものだったが、やはりそれでも肛門科という響きはなかなか馴染めない。「シークレット・ゲート」みたいな名前にしてほしいと思う。

中島らもを知っているか??

 この度エッセイを書くことにした。「ミスター3日坊主」などと称される僕の性格上、いつまで続くかはわからないが今回はしつこくやっていこうと思う。

 実は僕自身、ブログでエッセイを書き綴った過去があって、エッセイを書こうとしたきっかけは2004年に亡くなった作家の中島らもの影響である。

 中島らもは関西を中心に活動していた芸術家だったが、正直なところあまり知らなかった。たまにテレビに出ているのを観たことがあるが「なんやこの変わったおっさん」という程度。

 ある日、その中島らもが亡くなったというニュースが報道されて、当時札幌に転勤していた僕は「ああ、あの変わったおっさん死んでしもたんや・・」なんてさほど悲しむまでもなくやり過ごしいた。

 ところが、ここで関西人という共通点が何かを突き動かしたんだろう。「そういやあのおっさん本出してたよな」そう思って仕事帰りに本屋に行くとあったあった中島らも。しかも結構本を出している様子。その時買ったのが確か「固いおとうふ」だったと思う。

 驚いた。過去に漫画で爆笑したことはあったが、活字でここまで笑わせることに大きな衝撃を受けてしまったのだ。

「このおっさん凄いぞ!!」それから僕は慾るように中島らもにハマっていった。調べると小説も書いていて何度も直木賞候補になっている。

「しまった」こんな凄いおっさんだったんだ。もっと生きているうちに観ておけばよかった。

前回書き綴ったブログは何とか中島らものようになりたい、活字で人を笑わせたいと思って書いていたが到底中島らもの筆力には及ばない。今回もおそらく足元にも及ばないだろう。

上達するなら真似るのがいいという。何度も読んで真似ていきたいとは思う。ただ、生き方は真似したくない。大麻で捕まっているからだ。