ゲイリー助川エッセイ集

気まぐれにエッセイを書き綴ります♪

あいうえおエッセイ 「け」―競馬

 競馬というのを本格的にやり出したのは大学生の頃で、それまではレースをテレビでチョロチョロ観るくらいだった。

 大学生になって、入った当初は一応クラスがあったわけだが、そこに出会わせたメンバーが、パチンコ好きから競馬好き、麻雀好きが集まった「バクチの巣窟」みたいなクラスで、そんな環境だったから僕がそれらにハマるのも時間の問題だった。しかも僕の大学は京阪本線沿いにあったので定期券を使って京都競馬場に行けた。ある意味「最高の環境」だったわけである。

 金曜日ともなると下宿している友人宅で徹夜で麻雀に明け暮れるわけで、そこでは日曜日に行われるG1レースについて話し合われる。麻雀しながら競馬の話をするわけだ。頭で相手を騙しあいながら、口は本音を語り合うわけで、なんともせわしない話である。そこで、自分が推している馬について「そいつだけは絶対に来ない」などと言われるとムッとしたりする。その「ムッ」となってしまったのが影響してか、麻雀も振り込み倒したりして箱テンになって、さらに「ムッ」としてしまうものだ。

 よく競馬の予想番組とかで、相手の推している馬を批判したりするが、あれは演出も含めてのこともあって、10人が10人とも同じ馬を推してしまったらつまらないことこの上ない。だからあれはあれで、より競馬を盛り上げるためには必要な演出なんだろうと思う。

 問題は番組でも何でもない、先の麻雀でのやり取りのような、単なるプライベートでの競馬の論争である。そこには演出も何も必要がないわけで、ここでまず論争が起こること自体がおかしい。競馬というのは18頭出走したら18頭に勝つチャンスがある。それを証拠に最低人気の馬が勝って大騒ぎしたレースなんていくらでもあるのだ。なので、人がある馬を推すことについて批判するのはチャンチャラおかしいのであって、批判した人間が推す馬も来るかどうかなんてわからないのだ。結局蓋を開けてみればお互い全く眼中にない馬が飛んできて、馬券も、批判して言い合いになった時間も飛んでしまったなんてよくある話だ。

 だから、10人いれば10人の考えがあって、その意見も参考にしながら、各々がソワソワ、ドキドキして当日のレースを心待ちにしていればいいのである。

 僕も今はテレビで中継を観るくらいで新聞を買って予想するようなこともなくなった。競馬好きの方々は毎週土日にやってくるイベントに向けて毎週ワクワク、ドキドキできるのだろう。それはそれで羨ましい話だ。僕もチャンスがあれば競馬場かウインズで馬券を買ってドキドキできたらと思う。その時、もしベロンベロンになってる僕を見たら完全にハズレた時だと思うのでそっとしておいてほしい。

あいうえおエッセイ 「く」―癖者

 相撲の世界で「技のデパート」といえば舞の海であるが、相撲関係なく「癖のデパート」といえば僕のことである。自分でわかっている癖からわかっていない癖まで数えたらキリがない。癖というのは「なくて七癖」と言われるように誰にでもあるものだが、とりわけ僕の場合は癖の質がなかなか「上質」であって非常に厄介だったりする。なので嫁さんもいつか家でしか見せられない癖が外でご披露されるのではないかとヒヤヒヤしている。それがお披露目された暁には警察から職務質問されているか、変質者として皆から避けられるに違いない。

 癖というのはずっと同じ癖が続くというのはあまりない気がする。その時々の気分や環境、原因不明な要素などによって発生しては消え、変化したりしていくものではないだろうか。

 僕の場合は小学低学年のときは首をクネクネ動かす癖があって、母親から「ビート」と言われていた。ビートたけしの癖そのままだったわけで、我が子を「ビート」と呼ぶとはなかなかだと思うが、これは本気で直したいと思ってそう言っていたのか、からかっていたのかは定かではない。ただ、言われている当の本人は満更でもなかったのでなかなか治らなかった記憶がある。その他、両指をクネクネ絡ませる癖があってこれはクラス中で真似されてなかなか恥ずかしい思いをした。

 今でも指をポキポキ鳴らしたり、薬指の爪を噛んだりほじったり、右足の親指や顎の骨をコキンと鳴らしたり、鼻をつまんだり、目を大きく広げてから睨むように萎めたり、これはほんの一部でしかなくてその他にももうたくさんある。とりわけ薬指の爪の部分をほじくる癖については30年程続いていて、歴史のある木の年輪のように薬指の爪だけは右も左もかなりの深爪になってしまった。

それと、今思い出したが、僕は札幌に住んでいた時、積もっている雪に持っている傘をザクザク刺しながら歩く癖があった。あの「ザクッ」と入っていく感触と音が好きでやっていたのだが、ハタからみたら完全に変質者である。当時の僕は30歳前後。よく職務質問されなかったものだ。

 僕も今44歳になって、いつまで生きるかわからないが、あと40年程経って、もし認知症などになって理性もへったくれもなくなってしまったらおそらく癖という癖のオンパレードになるだろう。トイ・ストーリーのおもちゃが一斉に動くように、僕の癖も一斉にお披露目されるかもしれない。施設を抜け出し、目を大きく見開いたと思ったらそこら中を睨みつけ、薬指をイジり、たまにポキポキ指や顎の骨を鳴らし、ときに立ち止まって右足の親指をくるくる回しながらポキポキ鳴る音に満足し、傘をザクザク積もった雪に刺しながら歩いている。そんな完全なる変質者としてのクソジジイになっていることだろう。

 そうなったら癖の多い「癖者」だけでなく、「曲者」として周りの人達をイライラさせているにちがいない。同じクセでもなるだけ「曲者」にはなりたくないなぁと思う。

あいうえおエッセイ 「き」―筋肉

 元々がプロレスファンだったこともあって、筋肉という分野については興味があった。自分もいつかはレスラーみたいに筋骨隆隆の身体になって悪い奴らを倒していくんだ、そういった意気込みみたいなのはずっと持ち続けていた気がする。

 ところがそういった思いとは裏腹に僕自身の行動といえば、レスラーが自分の身体を大きくするために「たくさん食べる」というところは真似したものの、それを筋肉に変えていく作業は全くしなかったために只々太っていっただけだった。小学4年生くらいから太っていったからもう35年太ってきたことになる。

 そんな僕も一度だけ本気で行動に出たことがある。大学3回生のときだ。

 男が自分の身体を本気で変えたいと行動に出るときは大抵が「モテたい」というキーワードが出てくる。僕も例外ではなく全くモテない自分に嫌気がさしてきていた。「モテない」理由の一つが自分の体型にあると考えたからだ。

6パックの割れた腹筋、厚い胸板、盛り上がる上腕二頭筋―これで太った自分ともおさらばだ。そしてモテる日々がやってくる―

というわけで、まずは10キロのダンベルと筋トレの本を買いにいった。当時は身長が167センチで体重が74キロほどだったのでまずは体重を70キロにしていこうという目標を立てて筋トレに励んだ。

はじめのうちは筋肉痛になるのが嬉しくて、どんどん自分を追い込むトレーニングをしていたものの、やはりしんどいというのは長続きしない。段々とトレーニングをする間隔も空いていってしまった。こうなるともうダンベルを触らなくなる日がくるのも時間の問題であって結局はダンベルも部屋の飾りとなってしまったのだ。

「これではいけない」再度自分で自分を奮い立たせるべく、トレーニングを再開しようとしたけれどどうしても気持ちが入らない。そこで僕はスポーツジムに行くことを考えた。でも当時は会費を支払うにしても学生の身分としては高額でなかなか踏み切ることが出来ない。そんな中、たまたま見たアルバイト雑誌にスポーツジムでのアルバイトがあるのを見つけたのである。よく見るとトレーニングし放題とのことで、時給も貰えてタダで施設を使うことができるという最高の環境なわけだ。時給は恐ろしく安かったけど、そんなことはお構いなしにそのスポーツジムのアルバイトに入った。

 そして初日を向かえたわけだが、その日の光景というのは忘れられない。事務所の扉を開けた瞬間

「〇〇です。お願いします。〇〇プール監視入ります」と海パン一枚で大声で叫ぶ男性がいたのだ。その大声に続いて事務所にいる誰もが「お願いしまーす」と大声で返す。どこかのラグビー部かアメフト部の部室さながらである。当時の僕はパチンコ、麻雀、競馬とバクチ三昧で、体育会系とは全く無縁だっただけに、この部室めいた空気感というのは衝撃的だった。このジムは「ザ・体育会系」さながらに事務所の中ではハキハキした返事、大きな声、年下でも先輩には敬語などが求められた。いくら身体を鍛えたいといっても毎日毎日温々を過ごしてきた自分が持つはずがない。結局一度も筋トレをすることなく3ヶ月くらいで辞めてしまった。

 それからはもう自宅でやるしかないと結論づけた自分は、雑誌の裏に載っているような本格的な筋トレセットを購入した。自分の部屋をジムみたいに変えていったのだ。こうすれば嫌でもやるしかない。ベンチプレスも最大100キロまでは対応できる代物だった。

 しかしながら、これも長続きはしなかった。これも数ヶ月後にはただの邪魔な飾りと化してしまって、狭い部屋にスペースを取ってしまったためにたまに足の小指がダンベルに当たったりして悶絶するというそんな毎日を送っていた。

 結局は筋肉などは全くつかず、気がつけばトイレを我慢することが多かった僕についた筋肉は「肛門括約筋」だけだったのである。20年以上経った今、その肛門括約筋も見事に衰えた。悲しい話だ。

あいうえおエッセイ 「か」―噛み付く人

 「噛み付く人」と聞くと我々プロレスファンは相手の額に噛み付くレスラーを思い浮かべるわけで、特にオールドファンであれば真っ先に「吸血鬼」といわれたフレッドブラッシーというレスラーを思い浮かべるはずである。レスラーの額に噛みついてダラダラと流れ落ちる鮮血がテレビに放映されて、見ていた11人のご老人がショック死したという話だ。

 フレッドブラッシーは昔のレスラーなので僕も実際には見たことがなくて、何故に知ってるかといえば、小学低学年のときに、近所のお兄ちゃんにもらった「プロレス入門」なる本を来る日も来る日も食い入るように眺めていたからだ。そこでこの吸血鬼フレッドブラッシーが載っていたのである。低学年と小さかったので単純に「怖い」という印象が強かったのでよく覚えている。でも今では、噛み付きレスラーはたくさんいて、額から血を流す光景も普通になった。

 それにしても、額に噛み付くという反則技は本気でやってしまうとかなりの激痛だと思う。なんだかんだで毎日食べ物を咀嚼している以上、歯というのはかなり丈夫だ。それで額を噛み付かれたらたまったもんじゃない。ちなみにハードコアプロレスを標榜とする大日本プロレスは噛み付いて額が鮮血で赤くなった箇所にレモンの汁を塗りたぐったりする。まさに「傷口に塩を塗る」とはこのことで、やられたレスラーは足をバタバタさせながら悶絶している。えげつない光景だ。

 さて、前置きは長くなったが、噛み付く人というのはレスラーだけではない。人の言動や行動に噛み付いてくる人というのはざっと世間を見渡してもかなりの数にのぼるだろう。

今では安倍総理他、与党の言動に民主党が毎回噛み付いてるのがテレビで見られるが、あの噛み付き方というのは世の噛み付きたい人にとってはなかなか参考になるだろう。とにかくなりふり構わず噛み付いてくる。総理の対応に問題があることも事実だが、かなり醜い噛み付きも見受けられる。ああ言えばこう言うのだ。是非とも参考に「してもらいたくない」もんである。

 ところで、この噛み付く人については敵に噛み付くだけでなく味方に噛み付く人も見受けられるから困ったものだ。いや、むしろ味方のほうが噛み付いてくることが多いように思う。味方で特に噛み付かれると厄介なのが上司という類である。上司にも色んな方々がいるが、自分の感情を最優先する上司なんかは特にこの傾向にあるだろう。ロジックなんてなんのその、仕事を果たす目的よりも「オレ」の指示に従ってるかどうかに沿ってあれやこれや指示やら文句をグダグダと言い出す。部下の一挙手一投足に目を光らせ、何かあればすぐに噛み付いてくる。それこそ「スッポンの〇〇」と称される上司なんてゴロゴロいるだろう。プロレスでいうと(またプロレスや)、タッグマッチで、リング内でボロボロにされたレスラーがようやく味方にタッチしようとしたその手を竹刀で叩かれるようなものだ。そうなるともう完全にボロ雑巾状態である。でもこんな敵から味方から毎日毎日ボコボコに噛みつかれている部下というのは本当に大勢いる。池乃めだか師匠みたいに袋叩きされた後に「よーし今日はこのくらいにしといたろ」なんて言えたらいいが言えるわけもない。心が疲弊していくだけである。気の毒な話だ。

 毎日噛みつかれていると心が強くなるのは事実だ。逆に普段噛み付いている人間が不意に噛みつかれたりするとうろたえたりする。そう考えると普段から噛み付いている人というのは結局は周りからも見放され、いつか自分が額から血を流すことになるんだろう。ということは生活している限り、ほとんどの人が噛みつかれて額から血を流しているわけだ。それならばせめてレモン汁を塗りたぐるのだけはやめてほしいと思う。

 

あいうえおエッセイ 「お」―男と女♪

 もう10年以上前だと思うが「話を聞かない男 地図の読めない女」という本が話題になった。

僕もなかなか気になるタイトルだったので本屋さんを訪れるたびにいつか読もうなんて思っていたけど、今だに読んでいない。

大体本屋さんに行くときは「本命」でほしい本が何冊かあるときで、どうしても後回しになってしまう。そうなるといつの日かこの本の存在すら忘れてしまっているのだ。「いつかいつか買う」詐欺をはたらいているみたいで著者には申し訳ない気分である。

 さて、今だに読んでいない本ではあるので、内容についてはわからないが、タイトルだけを見て考えてみると「話を聞かない男」というのは僕に限ってはすっぽりそのまま当てはまる。ただ、「地図を読めない女」というのもある意味当てはまるところがあって、それはそれで複雑な気分だ。

 男というのは女性と違って、同時に同じことができない脳らしい。なので男が何かひとつのことに熱中しているところに話かけると大概が聞いていないということになる。でもこれが仕事になるとさすがに聞いていないでは済まなくなるわけで、これはやはり自分を護ろうとする本能がニョキッと瞬間的に顔を出すんだろう。そう考えると、「誰が」話しかけたかというところや、その場がどのようなシチュエーションであるかが重要になってくる。上司に話しかけられるのと家人に話しかけられるとでは違うのと同時に、緊張感のある場面と家でくつろいでいる時とでも全く違ってくるのではないだろうか。

「旦那が全然私の話を聞いてくれない」

という奥様方は旦那は何も無視しようとして聞いていないのではなくて、まずは男はそういう生き物だと思ってもらったほうがいい。

「上司の話ならちゃんと聞くのに私の話は聞かないのはおかしい」

そう思うのも無理はないが、この場合、奥様であるアナタに心を許しているか、アナタのことを下にみて舐めてみているか、さっぱり関心がないかだ。このどれかを聞いてみると、たいていは「心を許している」と答えるだろう。それもそのはずで、その他の回答をしたら翌日あたり緑色の紙を突きつけられるに違いない。

 ただ考えてみると、奥様の話を100%聞いているという旦那というのもある意味凄い。余程奥様に関心があるか、奥様が恐妻家かどちらかだ。

「うちの旦那は他の旦那と違ってちゃんと話を聞いてくれる」

と自慢する奥様はちょっと気をつけたほうがいい。アナタが怖くて旦那が耳を傾けている可能性があるのだ。

 僕はもう結婚して14年になるが、全然話を聞いていないので、叱られることが多い。「うん、うん」などと適当に頷いていると

「あ、話聞いていないな。今何言った?」

14年の結婚生活でおそらく100回は聞かれていることだろう。数えてはいないが4勝96敗くらいだと思う。

赤福に会いたい男 ―初めて歌詞を書きました―

 ここ数日無性に赤福が食べたくてウズウズしている。

なぜ?と言われても「食べたいから」としか返答はできないわけで、自分でも突如発症した「突発的赤福症候群」とも言うべき状況に困惑しているところだ。

 赤福をよく見かけるのは、売店の横や入り口あたりに当然のように鎮座している姿で、その場では絶大なる存在感というわけでない。ただ、突如として「あの〜」と声をかけられるように僕に呼びかけてくる時がある。こうなるとあの味を知ってしまっている以上、口が赤福の口になってしまって食べる以外に止めようがない。あの歯にくっつくあっさりとしたこしあんの粒子と、弾力のある餅のハーモニーを頭の中で描いてしまうのだ。

 ところが今新型コロナウイルスの影響で百貨店はおろか、売店までも閉まっている状況で、買う手段は通販しかない。送料を見るともうひとつ赤福を買えるくらいの値段で、それなら何とか我慢して、緊急事態宣言開けの開店に期待しようと思っている。

 それにしても、赤福を求めすぎて、でも手に入らなくて、世間的にも外出も自粛しろといういろんな苦が重なっていて少々頭の配線も狂い出したんだろう。この状況をテーマに歌詞を書いてしまった。人生で初めて書いた歌詞である。誰か有名ミュージシャンあたり曲をつけてくれないだろうか。それに便乗してなんて・・・グヘヘヘ・・僕なんてそんな人間だ。

 

あれからどれ程の月日が流れたのか
カウンターで夜を明かし
二日酔いで泣いた

空気がそこにあるように
ただそこにアナタはいた
別に気にもしなかったけど
ため息ばかりで今アナタが離れない

stay home let's be with your happiness
そうさアナタを連れて帰れたら
stay home let's be with your happiness
そうさ楽しい瞬間(とき)が始まる
stay home let's be with your happiness
たとえ扉の向こうが嵐としても
stay home let's be with your happiness
白も黒も大好きさ

3つの季節は流れて髪は銀色に
こんなときがくるなど
誰も知りはしない

ありふれた日常が
崩れていく瞬間(とき)
こんなときにどうして
アナタに早く会いたいよ

stay home let's be with your happiness
そうさこの辛さが過ぎされば
stay home let's be with your happiness
きっと輝くアナタに出会える
stay home let's be with your happiness
夢とか愛とか詰まった
stay home let's be  with your happiness
アナタといつも過ごしたい

あの時代この時代 想いはそれぞれ違うけど
アナタは変わらず受け継がれていく
赤い服来た少女たちがいつも笑顔でいてるよ

 

stay home let's be with your happiness
そうさアナタを連れて帰れたら
stay home let's be with your happiness
そうさ楽しい瞬間(とき)が始まる
stay home let's be with your happiness
たとえ扉の向こうが嵐としても
stay home let's be with your happiness
白も黒も大好きさ


stay home let's be with your happiness
stay home let's be with your happiness・・・

 

あいうえおエッセイ 「え」―宴会はクソ上司とともに

 仕事は平社員でも宴会は部長ー

 いわゆる宴会部長と言われる人たちがいるが、僕もその類の人間で、宴会を開催するときは自然と力が入った。とにかくその日は仕事中でも仕事のことなんて考えていない。一日中宴会のことを考えているのだ。「日頃から仕事のことなんて考えてないやろ?」と言われるとそれはそれで正解であるが、宴会の日は脳みその割合が全然違う。普段は「仕事3、遊び7」であっても宴会日は「仕事0.5、宴会9.5」くらいになる。なので仕事的にはその日一日さっぱり使いものにならない。

 そうして夜に宴会が始まるわけだが、宴会の基本として圧倒的に気の合う人間と宴会するのがいい。アホな話に花を咲かせては、酔いも手伝って宴会中はずっと笑っていられる。逆に一番最悪なのが気の合わない上司が出席する宴会である。

 僕は18年間同じ会社に勤務していたけれども、この会社では繁忙期が始まる前にはホテルを貸し切っての「頑張ろう会」なる宴会が催されていた。会場には100人弱の従業員が集まるというビッグイベントだ。社長の挨拶、役員の挨拶などがあって、部長の乾杯音頭で宴会が始まる。しばらくすると部下たちがタイミングを見計らっては上司に酒を注ぎに回る。気がつけば上司の席には酒を注ごうとする部下がずらっと並んでいるという、サイン会を待つファンさながらの図が見られた。

 これだけでもうんざりであるが、大人数ということもあってまだ誤魔化しがきく。問題はその後の二次会だ。どういうわけか半強制で参加しなければいけないという懲役刑のような二次会だった。よくあるチェーン店の居酒屋で催されるが、この二次会ですっかり出来上がった上司の「クソ」のような話に付き合わなければならない。

「あのな、まあアレやわ。悔しくないんかっちゅう話や。せやろ。売上下がってんねん。わかるよな。俺んときはな・・・」

「もっとな、お前がしっかりせんとアカンねん。今回の繁忙期はな。お前にかかってんねん。今のままでは心配やわな。最近ちょっと気が抜けてるんちゃうか」

気が抜けてるなんて言ったらずっと気が抜けてる。

こんな類のことを終電が来るまで聞かされる。酒が旨いはずがない。

こうした自尊心の低い人間が上司になってしまうのはよくある話で、とかく相手の短所や欠点ばかりに目がいってそこを攻めていく。これがプロレスであるとなかなか有効な攻撃であるが、部下にこの攻撃をしてしまうとプロレス同様大きなダメージは与えることができるが、その見返りは攻撃したダメージの数倍の軽蔑とヒンシュクとなって返ってくる。仕事もできて尊敬できる上司が言うには多少我慢できるところもあるが、大体がこうして何だかんだという上司に限ってさっぱり仕事をしないものだ。僕はこういう上司達を見て絶対にこんな上司になるものかと心に決めた。

 ところがこうして誓ったものの気がつけばクソ上司どころか普通に上司にすらならなかったんだからなかなか笑えない話だ。結局は退職するまでずっと酒を注ぐ側にいたのだ。これはこれでいかがなものかとも思うが、それでも僕は後輩と酒を飲んでも偉そうにしたり欠点や短所を攻撃したりすることはなかったと思う。たまに酔ってくると

「お前なぁ、ちゃんと決められた日に書類出さんかぁ。だから叱られるねん」

「先輩もじゃないですか」

「いや、俺も叱られることもあるけど凌いだところもある。例えば提出せなアカンのを忘れてて時間ないときとかあるやろ。対処法があるねん。とりあえず書類できてなくても提出するんや」

「どうやって提出するんですか」

「書類添付せんと送信するねん」

「〇〇部長 添付し送信いたします。ご確認くださいって堂々と送信するんや。添付し忘れって誰でもあるミスやろ。やったことないやつなんておらん」

「添付ないぞ!!って言わるじゃないですか」

「え!そうでしたか!すみません。ただもうパソコンの前にいなくて・・明日でいいですか。そう言うたら部長もしゃーないなぁ。明日朝一でちょうだいな。ってなる。そしたら考える時間が延びるやないか。でも期限内には提出しようとしたわけやから忘れてたというわけじゃない。」

こんなことをしていたから酒を注ぐ側のままだったんだと思う。

 

 

あいうえおエッセイ 「う」―嘘つきの行方

「嘘つきは泥棒のはじまり」などと言われるが、こんなことを言い出したら子供以外のほとんどが泥棒になることくらい自明なことである。泥棒を捕まえる側のおまわりさんだって人生の中では散々嘘をついてきてるはずだ。

 先日はスーパーの前で

「お父ちゃんの前で嘘つくんか?え?嘘つきなんかお前は」

などと子供を説教しているお父さんがいた。説教されたほうの子供はえんえんと泣いている。その光景を見て僕は「いやいやお父さん、お父さんなんてもう数え切れないくらいの嘘ついてきてるやんか。なんやったらこの子説教した数分後には何かしらの嘘をついてるかもしれんで」などと心の中で泣いている子供を応援した。

 嘘をつくなという教育は必要だと思う。ただ、本当をいうと嘘の質を教えてあげるのが一番いい。ついていい嘘、ついてはいけない嘘。ただこれを教えるというのはめちゃめちゃ難しいもので、ある程度の人生経験が必要となってくる。口頭や教科書ではなかなか子供には教えづらいところだ。だから親は「嘘をつくな」の一点張りの教育しかできない。これはこれで仕方がないのかもしれないが他に何かいい教育方法があれば是非とも世に広めていただきたいものだ。

 ところで僕も今44歳なんで嘘つきという点ではベテランの域に達しているが、「事前につくことが決定している嘘」をつくことが非常に苦手である。

 僕が大学受験に失敗して浪人をしていた1994年。この年は競馬界ではナリタブライアンという強烈に強い馬がいて浪人の身であるにもあるにも関わらず仲間と馬券を買いに行こうという話になった。

当時は18歳だったので、20歳以上でないと馬券は買えないわけだから、JRAの係員にバレると厄介なことになる。係員が20歳以上かどうか判定するにあたり、生まれた干支を聞くという情報を得たので僕たちはもし聞かれたら2歳上の干支である「丑年」と答えようという話で一致した。

そして、いざ馬券を大阪は梅田にある場外馬券場に足を運び、馬券を購入した時だった。

「あの・・君たちいくつ?」

後ろから女性の係員が声をかけてきたのだ。

僕は焦った。本当に声をかけてきたのだ。一応あたりを見渡して最善の注意を払ってきたつもりだったが、逆にそれがいけなかったんだろう。怪しいやつに思えたに違いない。頭が真っ白になった僕は

「寅年です・・違うわ!丑年や・・・・」

目を細めた係員は観念しろよと諭すような低い声で

「ほんまは何年なんや?」

「竜です」

こうして僕のチョンボで裏の個室に連れて行かれ、住所やら名前やら書かされた。学校名も書く欄があったが、さすがに予備校名なんて書けない。フリーターと記入した。苦い思い出だ。

 その後も何度か事前に予定された嘘をついたことがあったが、目が泳いで、喉がカラカラになってくるのが自分でもわかる。おそらく嘘をついているかどうかなんて分かる人にはすぐにわかってしまうんだろう。だからなるだけ事前に予定された嘘はつきたくないものだ。

 世の中には人それぞれの嘘のつき方があると思う。嘘をつくのがとてもうまい人、キレイな嘘をつく人、平気でついてはいけない嘘をつく人など。でもやはり人を傷つける嘘だけはつきたくないものだ。相手を思いやれる嘘つきが本当は一番いいのだと思う。

あいうえおエッセイ 「い」―esportsはいいスポーツ

 e-sportsという存在を知ったときの驚きといったらない。

ついにこんな時代が来たんだ。好きなことがお金になる時代が来たんだということ。これは本当に素晴らしいことだと思う。

 僕は今44歳だが、テレビゲームが出てきたのがたしか小学3年生くらいだったと思う。いわゆるファミコンていうやつだ。これが段々発展してスーパーファミコンになりプレイステーションになったりしていった。

 ゲームが広まると当然言われてきたのが、

「ゲームする暇があるなら勉強しろ」

「A君みたいにゲームばっかりしてたらアホになるで」

「A君はいずれ苦労するで。勉強せんとゲームばっかりやってるから。アンタはああなったらアカン」

「ゲームしてていい大学に入れるとでも思っているのか?大学に入ってからゲームしたらいい」など。

子供の中ではゲームはこれまで目にしたことのなかった最上の遊びになったが、大人にとってはゲーム=悪という図が仕上がっていたように思う。それもそのはず、ゲームが盛り上がってきたときには世間は学歴至上主義になっていたからだ。親からすればゲームではなくて勉強をしてほしい。そうなるとゲームは邪魔な存在なわけで、だからやんやと勉強勉強と言ってきたんだと思う。

 ところが今、いい大学に入っていい会社に入れば一生安泰などという思想は完全に崩れ去った。当時、本当に勉強していい大学に入って、いい会社に入った僕ら世代の人でも年収でいうと1000万以上の人というのは少ないと思う。でも勉強の偏差値は30だが、ゲームの偏差値は75などと揶揄されていた面々が今ゲームでウン千万と稼いでいるのだ。ゲーマーなどと蔑視していたA君が日の目を見る時代になったのだ。「ざまぁみろ」といったところだろうと思う。

 ところで、このe-sportsについて調べていくと非常に興味深い話があった。

 e-sportsはエレクトリック・スポーツの略で、複数のプレーヤーで対戦されるコンピューターゲームをスポーツ・競技として捉える際の名称とのことで、日本人の僕らからすると「いやいやこんなんスポーツちゃうやん。ゲームやん」と捉えるのが普通だと思うが、欧米では列記としたスポーツとして扱われている。日本と欧米ではスポーツとしての捉え方が全然違う。定義が全く違うのだ。

 我々日本人はスポーツといえば「体育」という認識で捉えることが多いが、欧米では「遊戯・競技・身体の鍛錬を含む行為」と定義されている。体育系はもちろんのことだが、ゲームもスポーツ、そして面白いのが「マインドスポーツ」の括りでチェス・囲碁・将棋・麻雀もスポーツとして捉えられることだ。つまりは将棋の羽生名人も藤井聡太七段も欧米ではスポーツ選手ということになるわけである。日本人の僕たちにとっては違和感のある話だ。

 でも、もし欧米の定義を日本に持ち込んだ場合、スポーツニュースはなかなか面白いものになっていくのではないかと思う。

「今日のスポーツです。まずは麻雀から。〇〇九段が逆転の四暗刻で優勝しました」

こんなコーナーが出来てくるかもしれない。いつか見てみたいものだ。

 e-sportsはこれから段々と周知されていくことになるだろう。オリンピックで採用される話も出ている。結婚する年代の子を持つ親御さんもその存在は絶対に知っておく必要があると思う。

「お母さん・・・私結婚することになった。相手はスポーツ選手。日本代表よ」

「え?日本代表?スポーツ選手?何の選手?」

e-sports

「ん・・いいスポーツ・・」

「そう、e-sports

「そうなんや。日本代表になるくらいやしね。いいスポーツ選手なんやな」

 

「お父さん、○子、結婚するって!相手は日本代表って!いいスポーツ選手みたいよ」

こうして後日相手の男性が挨拶に来た際、屈強の男がくるものと思っていたのがヒョロヒョロに痩せた子が来て拍子抜けするかもしれない。これはこれで面白い話だ。

eスポーツとは「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」の略称。

広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲームビデオゲームを使ったスポーツ競技のことを指します。

簡単に言ってしまうと、複数人のプレイヤーで対戦するゲームをスポーツとして解釈して「eスポーツ」と呼びます。

「スポーツじゃないじゃん。」と思ったあなた、このままでは、あなたは時代遅れのレッテルを貼られてしまいます。

アメリカではすでに、国が「eスポーツ」を「スポーツ」として認めており、「プロゲーマー」が「スポーツ選手」であることを認めています。また、韓国や中国でも「eスポーツ」が非常に発展していて、市場規模も日本とは桁違いになっています。

eスポーツとは「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」の略称。

広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲームビデオゲームを使ったスポーツ競技のことを指します。

簡単に言ってしまうと、複数人のプレイヤーで対戦するゲームをスポーツとして解釈して「eスポーツ」と呼びます。

「スポーツじゃないじゃん。」と思ったあなた、このままでは、あなたは時代遅れのレッテルを貼られてしまいます。

アメリカではすでに、国が「eスポーツ」を「スポーツ」として認めており、「プロゲーマー」が「スポーツ選手」であることを認めています。また、韓国や中国でも「eスポーツ」が非常に発展していて、市場規模も日本とは桁違いになっています。

 

あいうえおエッセイ 「あ」―アントニオ猪木

 く・く・く・・・(笑)

幅広くワードを選択するといいつついきなりのアントニオ猪木登場である。

これで次回の「い」が井上貴子やら飯塚高史などとなったらもうプロレスファンしか読まなくなるだろう。ただ、「あ」のワードを探すにあたり、どうしてもアントニオ猪木しか出てこなかったんで仕方がない。今回はアントニオ猪木でいこうと思う。

 アントニオ猪木が我が大学に来たのは僕が3回生の時だ。

たしか講演会的な名目で来たんだと思う。僕の通っていた龍谷大学は年に2回学園祭があって、確か春の学園祭だったはずだ。僕と友人3人とで1時間半前から並んだ。僕たちより先に並んでいるのは数名だけで、「週間プロレス」を手に並んでいる者やその当時流行った「nwo」のTシャツを着ている猛者達もいた。

僕としては小学生の頃のヒーローがアントニオ猪木だったので、何年か後にこうして目の前で生の猪木が見れるということに興奮していた。223cmもあるアンドレ・ザ・ジャイアントに延髄斬りを食らわして勝った猪木。タイガージェットシンとの抗争でシンの腕を折った猪木(実は折れてないという話)。ハルクホーガンのアックスボンバーで舌を出して沈んだ猪木。その猪木にこれから会えるわけである。

会場が開くと、早くから並んだ甲斐あって前から2列目中央という絶好の位置をキープできた。

こうして定刻がきてイノキボンバイエで猪木が登場すると大猪木コールで大盛り上がりとなった。

 ところが、この頃たしか猪木は議員を落選した後あたりだと思うが、主に環境問題をテーマにした話ばかりで、主催する真面目な学生からの質問も環境問題のみ。プロレスの話を期待していた会場は次第につまらなくなってきた。そんな空気を猪木は察したんだろう。

「バカヤロー」と突然の叫び声にその場にいた何百人の学生が驚いた

真面目学生の杓子定規な質問も終わったそのとき、猪木の中に火がついたんだと思う。

「質問あるやつ出てこい」

そう言うと真っ先に手を挙げたのがまさかの隣にいる友人だった。

僕たちは毎日大学近くの「喫茶イノキ」という喫茶店が溜まり場で、入学してすぐにこの店を見つけたときはプロレスファンである我々は喝采だった。すぐにこの店の常連になった。

この店にあの有名な「アントニオ猪木ブロンズ像」の上半身だけという像があって、チャンスがあれば頬の部分にサインをしてもらおうという話になっていたのだ。その像を持った友人が本当に手を挙げたんで驚いたわけである。友人は壇上に上がると約束どおりサインをもらい、いよいよ質問となった。

高田延彦ヒクソンに負けて、今度は前田日明が挑戦するかもしれないと言っているが、もう猪木さんが行くしかないのではないでしょうか」

この質問に会場が大きな拍手と歓声に包まれた。僕も友人がこんな高度な質問を用意していたことなど知らなかったので感激したものだ。友人の質問を受けた猪木はマイクを持って

「寝技だったらヒクソンには負けない」

この回答に会場が「おおおおおーーー」という歓声と拍手と同時に猪木コールが沸き起こった。友人は一瞬にして環境問題の静寂からプロレス会場の雰囲気へと変貌させたのだ。

「ただ・・・膝の状態がよくなればだけどな」

これにはその場にいた全員が笑った。なんとも猪木らしい回答だ。その時確かヒクソンと戦う上での戦法を語っていたと思う。格闘家としてヒクソンと戦うなら自分はどうするかというところを考えているあたりはさすがだなぁと思った。

 友人の次に質問した学生にはやられた。

「気合の張り手お願いします」

こんなもの質問でもなんでもない。

「よーーし、お前出てこい!」

指名された学生はガッツポーズで壇上へと向かって行った。

そうそう、こういう展開をハナから期待していたわけである。予備校の講演で空手の有段者だった予備校生に本気の「突き」をかまされて真剣に張り手をかました、あの猪木を最初から見たかったのだ。

こうして「今僕は25歳ですが今からレスラーになれるでしょうか」とヒョロヒョロの学生の質問があったり、さらに張り手をかましてほしいという人間が続出したりで、大盛りあがりで終了した。

僕もその様子を見て大興奮だった。ただ、そう、プロレスファンであるならば誰しもが猪木に張り手をかましてほしいのだ。何故僕も勇気を出して手を挙げて猪木に張り手をかましてもらわなかったのか。会場を後にした僕は段々後悔の念に駆られていった。

あれから22年が経つが、今でもあのときの興奮と後悔が蘇る。

今度猪木に会ったら張り手をかましてもらいたいと思う。

 

 

「あいうえおエッセイ」開会宣言

 10年前、ブログでエッセイを綴っていたときに「あいうえおエッセイ」なるものを書いていた。これは「あ」から「ん」までの頭文字のワードを勝手に僕が選んで、それについて書き綴ったものだ。「あいうえおエッセイ」は僕の好きな中島らもが「しりとりエッセイ」なるものを書いていて、それをヒントに思いついた。なかなか長続きしない僕もこのときばかりは「ん」まで達成して、やればできるじゃないかと関心したものである。ところがここで燃え尽きてしまったのか、そこからさっぱり書かなくなってしまった。今回再びブログを書くことにしたので再度「あいうえおエッセイ」に挑戦したいと思う。

 これの大変なところはワードを何にするかだ。「これだ」と思って書いていても途中で、あのワードのほうがおもしろいのを書けたなぁとかあのワードのほうが書きやすいよなぁなどと考えるとせっかく途中まで書いていたものをボツにして、再度新ワードについて書いていくことになる。なかなか面倒くさいことになってしまうのだ。選択するワードもあまり誰もしらないようなワードを使ってしまうと誰も読まなくなってしまう。例えば僕はプロレス含め、スポーツ観戦が好きだが、「あ」がアントニオ猪木で「い」が井上貴子、「う」がウルティモ・ドラゴンなどとレスラー3連発だとプロレスファンは喜ぶかもしれないが、興味のない人にはさっぱり読まれないに違いない。なるだけ幅広くワードを選んでいこうと思う。

 一日二日ブログが更新されないことがあるかもしれないが、一週間たっても更新されないことがあった場合はワードが決められてない可能性があると思ってもらったらいい。その時は逆にワードを提案していただければありがたいなぁと思う。

「なぜパチンコを打ちたいのかって?そこにパチンコがあるからだ」

 ずっと「痔痔ネタ」を書いてきたが、今回はちゃんとした「時事ネタ」について書こうと思う。

今回の新型コロナウイルスの影響で自粛が続いている中、大阪は自粛せずに開店している店を公表した。

僕もその昔、毎日パチンコ屋に通っていた人間であるが、当時の気持ちのまま今を迎えていた場合、まずはこの公表されたパチンコ屋がどこにあるのかをチェックすることだろう。自宅からどこが一番近いのか、交通手段は、などを調べるに違いない。

 パチンコをしたことがない人には分からないと思うが、パチンコ屋というのは彼らにとってはあの電光と機械音の空間に入ることが「日常」なんであり、そこに自分という存在を確認できる極めて重要な空間だ。その空間に包まれていよいよ「さてさて今日はどの台を打とうか」などと台の品定めが始まる。

「昨日は30連チャンで一昨日は56連チャンということは今日は絞ってくるだろうか、いや、流れのまま今日も連チャンはいけるかもしれないぞ」などといった台との心理戦。釘についても「お!昨日よりも命釘は開いてるなぁ」などとチェックしたりする。そして「これだ!」と思った台の前に座り、目の前の台と対峙することになるのだ。

そうして対峙しているとやってくる「キュイーン」などという機械音。そして凄まじいほどの電光フラッシュが台を打つパチンカーに浴びせられる。その電光は台を打つ人間に希望を、夢を、そして裏切りと絶望を含んで注がれるのだ。

「キタキタキタキターーーー!!リーチ予告やぁーーー」

「キターーーーー!!!キタキタキターーー!!リーーーーチ来たぞーーー!!」

「うぉっしゃーーーー確変当たったぁーーー」

ただ毎日を普通に過ごしているだけならば、なかなか高揚感を得られる機会は少ない。でも努力なんてする必要もなく、ただただそこに行けば高揚感を得られるのがパチンコというやつだ。競馬のように週2回ではない。365日毎日パチンコ屋は開店しているのだ。こうなると脳が過去に味わった高揚感に支配されるのは言うまでもない。そんな彼らにコロナがどうのなのというのは関係ない話だ。コロナよりも空間に存在することのほうが余程大切なんである。

今回の大阪のパチンコ店公表は高揚感の脳に支配されたパチンカー達には正直あまり意味がないと思う。コロナのことを考えると閉店するのがいいに決まっているが、全ての店が閉まった場合、彼らの高揚感の行末がどこにいってしまうかは心配なところだ。せめて犯罪だけには手をつけないでほしいと思う。

冷蔵庫から鍵

 世の中には天然ボケと言われる方がたくさんいらっしゃって僕も一応その部類に入るのでないかと思う。

 先日あったのは自転車盗難事件だ。夜、買い物に行くのに自転車置き場に向かうと自転車がない。「盗まれた」と思った僕は身なりを整えて交番に向かった。その道中にセブンイレブンがあるが、そこに僕の自転車に似たのがある。

「あ・・・」

会社帰りに寄ったもののそのまま歩いて帰っていたのだ。気づかずに交番に行ってたらなかなか恥ずかしい話である。年に何度かこういったヒヤヒヤするようなボケをかましてしまう。

 最近聞いた話で衝撃的だったのは家の鍵が見つからなくて、結局見つかったのは「冷蔵庫の中」だったと言う話だ。家の鍵が冷蔵庫から出てくるなどという芸当はこの方か引田天功くらいしかいないに違いない。

この方はいわゆる「私、よく天然て言われるんです」と言っても周りが頷いてしまうほどの、見るからに天然ボケオーラ満載の方で、天然ボケ検定なる検定があるなら間違いなく1級の存在である。この冷蔵庫事件の他のエピソードは聞けなかったが、もう天然ボケエピソードには事欠かないらいしい。是非とも他のエピソードも聞いてみたいものだ。

 天然ボケというのはほぼ無意識から発せられているが、ある意味その人の本能ともいうべき人間らしさが漂っていて、「素」のその人をみることができる。周りが笑えるようなユーモアのあるものから全く笑えない、逆に人を怒らせてしまうものもある。同じ天然ボケであるなら周りが笑える天然ボケのほうがいい。でも冷蔵庫から鍵が出てくるくらいの高度な天然ボケは遠慮したいものだ。せめて天然ボケ検定準2級くらいにとどめておきたいと思う。

 

かましたオナラの風向き

 昨日の投稿で肛門科関係の話を締めたつもりでいたが、激痛のまま病院に駆け込んだ話の続きを記載していなかったので、綴っていきたい。

 激痛の中、何とか自転車で病院にたどり着いた僕は意を決して病院へと入っていった。個人病院ということもあり、コロナの影響で患者さんは僕ともうひとりしかいないという絶好の環境。見た感じ診察室は一つしかないので、肛門科と書かれた部屋から「ゲイリーさん、中へどうぞ」などと声をかけられることもない。これが総合病院とかなら視線をいっしんに浴びて診察室に向かうことになるので、なかなかに恥ずかしい思いをすることだろう。そういった心配はなさそうだ。こうなると気がかりなのは分娩室さながらの高台があるのかどうかだ。高台に横たわり、足を引っ掛けて肛門をご開帳するスタイルだけはなんとしても避けたい。

僕の名前が呼ばれていよいよ「戦場」に向かうと、ざっと見た感じ、分娩室さながらの高台は見当たらない。いやいやそれでもカーテンで仕切られた向こう側から急に高台が運ばれてくるということもあるはずだ。油断はできない。そんな色々を考えていたところに医師の先生が

「じゃあ、そこに横になって」とベッドに横たわるように指示をすると、今度は看護師さんが「パンツを下ろして膝を抱え込むようにしてください」

よかった。丸見え御開帳ではない。大腸内視鏡と同じスタイルだった。

「じゃあ入れますよー」と指を入れられてこねくり回されると「ん?」という声が聞こえた。

お医者さんの「ん?」ほど怖いものはない。痔を通り越して直腸がんでも見つかってしまったのかと勘ぐってしまう。

「う〜ん、これは前からイボができたんじゃなくて完全に急性やね」

結局は痛み止めの薬と塗り薬をもらって帰った。

この日から2週間が経ち、痛みはほぼ引いたものの、イボはひと回り小さくなったまま君臨したままだ。困ったのは相変わらずかましたオナラの風向きがいつもと違うこと。南西の風ともいうべきだろう、左の太ももの裏側にあたってくる。これがなかなかに気持ち悪い。早くまっすぐに吹いてほしいものだ。

これでイボ痔はいつか完治することになるだろう。ただ気がかりは切れ痔である。イボ痔と切れ痔は違うものと先生も言っていた。今度は切れ痔でお世話になるかもしれない。

内視鏡検査は突然に

 もう数年も前からになるが、健康診断で必ず便潜血に引っかかっている。

2度採取した便のどちらか一方が引っかかっていて、どういうわけかどちらも駄目ということはない。便潜血で引っかかっている理由は明白で、完全なる痔である。

 ネットで調べてみると、こうして痔だと勝手に判断して検査にいかずに放ったらかしたら実はガンだったというケースもあるみたいだ。でも僕はそれでも完全な痔だと断言できた。何故なら肛門が切れて鮮血が落ちていたからだ。

 そんな僕が急に内視鏡検査を受けなくてはならなくなった。

ある日、保険の見直しをしようということになって無駄な保険を解約していった。解約した代わりに医療保険ガン保険に入ろうということになったのである。そのがん保険に入るにあたって健康診断の結果を提示しなくてはならなかったのだ。保険会社側も当然便潜血に引っかかっていることについてはツッコミが入ってくる。結局、診断した結果が必要とのことで渋々検査を受けることにしたのだ。

 病院にいくと6畳くらいの部屋に通されて、そこには椅子とテーブルが壁側につけられていた。テーブルにはビニール製の下剤とコップが置かれている。すでに2人の年配の女性が壁に向かって下剤と戦っていた。

「これを2時間かけて飲んでください。便が透明になったら内視鏡検査始めます」

こういった内視鏡検査の下剤を飲んだ経験のある方ならおわかりだと思うが、あの塩水を飲んでいるような苦さというのはたまらない。しかも2リットルもある。紙コップに注いで一口飲む度に「ふぅ〜」という溜息まじりの苦痛の吐息が発せられ、ビールを飲んだ時の快活の「ふぅ〜」とはわけがちがった。

それにしてもこの6畳ほどの空間がなんとも罰を受けている罪人のようで、それも苦痛であった。扉は開けられているものの、居残りで勉強させられている生徒さながら廊下を歩く方々のこちらに向ける目が嘲笑交じりのそれに見えてしまう。2リットルなどビールであれば、30分あれば飲みきれるのが、下剤は2時間を少しオーバーするくらい時間かかった。

 苦痛の2リットルが終了した僕はお祝いにビールが飲みたい気分だった。でも本番はこれからで内視鏡検査がなされる部屋に通された。台に乗って横たわるとパンツを下ろして膝を曲げる。ここまで来るともう恥ずかしさもない。検査する先生も肛門をまじまじと見ることもなくチューブを差し込んでいった。

カメラに映る自分の腸はなかなかキレイなもので、ただ気になるのは時々止まって「パシャ」と画像を撮る音だ。その度に何か悪い物体が発見されたのではないかとヒヤヒヤしてしまう。そしてカメラが中に入り込んでいくときの腹圧。これがなかなかに気持ち悪かった。小学6年生のときに味わった浣腸とはまた違った気持ち悪さである。

 結局診断の末、良性のポリープが見つかり、手術して切除することになった。切除した後の最初の健康診断の結果は便潜血が見当たらず。それでも僕はたまたま痔だったと信じている。

こうして僕はこれまで4度おしりをさらけ出したが、意外と行ってみると事前の恥ずかしさも最後には消えてしまっている。ただ、もう浣腸だけはされたくない。それなら2リットルの塩水のほうがマシだ。いずれにしても肛門科をクリアした僕はもう病院でお尻をさらけ出すのは怖くない。あと残す最大の難関は泌尿器科だ。ここには何とか行かないようにしたい。

「あの・・・・見ないまま診察してもらえますか」などと言ってしまうかもしれない。